「好きで活きて得意で稼ぐ」PROsheetブログ担当のたぐちです。
今回のエンジニアインタビューは株式会社HEART QUAKE 代表取締役の千葉順さんです。
卒論はeラーニング
___インターネット、パソコンに出会いについて教えてください。
大学ITの学科に進学するって決まったのでPCを買って、その時初めてインターネットもISDNから繋いで。大学でなぜITを学ぼうとしたのかというのは、当時チェスの世界チャンピオンがPCに負けたというのがあって、それに興味があって、チェスをやっていたわけではないんですけどITすごいなと思って。
__その頃からすぐにプログラミングとか学び始めたんですか?
大学に入るまで少しだけやっていました。興味の分野も人工知能という、それができる大学に行こうと思って。
__大学でのプログラミングの勉強はどういったものでしたか?
人工知能の勉強が実際にできるのが3年生後期からだったので、授業とる前にやらなきゃと思って、当時はオセロゲームを開発する本が売ってあったのでそれを購入して、コンピューターが強い手を選ぶようなプログラムを作って、自分が作ったソフトとYahooでインターネットで対戦できるゲームがあるんですけど、それで自分が作ったソフト対インターネット上の誰かと対戦してました。
__WEBサービスはされていなかったんですか?
はい、2004年とか5年とかだったので、当時はあんまりWEBとかはなかったですね。
__卒論でeラーニングをされていましたよね?
プログラミングを学ぶためのeラーニングをやっていました。
課題自体は教授から言われたいくつかのテーマの中の一つでした。
共同で卒業研究しなくてはいけなくて、2人で2つのeラーニングシステムを作らなければいけなくて、ひとつはプログラミングを学ぶ人のための、もうひとつは、指定校推薦とか、推薦で大学に入ってきた人たちは、大学のセンター試験て大体1月とかなんですけど、推薦で大学に入ってくる人たちは、9月ごろに決まってしまうんですよ。僕もそうだったんですけど。大学が決まってからその間勉強しなくなってしまうので、指定校推薦で入ってくる人たちのために、物理か何かのeラーニングを作れと言われて、実際に大学で使うというので、それを作りました。
最初は経理を志望していた
__卒業後ワークションアプリケーションズさんに就職されましたが、どのような事をやっていましたか?
総合職で入ったんですけど、そのあと研修期間を経て会社からは営業って言われたんですが、営業は絶対にやりたくなかったので、社長との面談で、営業嫌ですって言ったらじゃあどこになるかわからないよと言われて、最終的に発表されたのが、開発の部署でした。最初は一番楽そうなので経理を志望したんですけど。
開発ではBtoBのERPパッケージの中の僕は会計システムを担当していました。会計システムって色々な在庫の情報とか、給与の情報とかが最終的に集まってくるシステムなので、外部のシステムとの連携がすごく多くてインターフェース部分もすごく多くて。僕は1年目からそのインターフェース部分の担当になってしまって、なので大量のデータを高速的に扱わなきゃいけないというのが結構大変でした。何もわからない状態からやったので。でも、データベースのスキルのチューニングをどうするかとか、JAVAのメモリをどうするかとか、気を使わなくては行けない部分が凄くあったので、とても勉強にはなりましたね。
__それから起業に至る経緯を教えてください。
ポジティブな理由とネガティブな理由があって。
ネガティブな理由としては、すごく優秀なメンバーが会社の中にはいて、エンジニアとしてこれから先やっていくことの限界を感じていて、社内の中にはプログラミングがすごく楽しくて週7日のうち5日会社にこもってやっていたりというメンバーがいて、彼は会社に入るまでプログラミングを今までやったことがない人だったんですけど、好きは努力に勝るといいますか。
__夢中にやっていて苦にならないという人もいますもんね。
そういう人が何人かいたときに、僕は、やれるけどとてつもなく好きかっていうと、そもそもITかより経理になろうとしていた人間だったので、そこまではいけないなと思ってしまって、これを後何十年かなんかやっていくと考えると、正直この世界で一流になるのは無理だなと。どっかで道をあきらめなきゃいけないなと思ったのがネガティブな理由ですね。
人間いつ死ぬかわからないからやりたいことをやろう
ポジティブな理由としては、高校生の頃、数学科にいって数学の先生になろうと思ってそれを進路指導の時に言ったら、「先生という職業はポストがないからやめたほうがいいよ」と言われ、学科を変えました。あとは、将棋やオセロとかのゲームの研究をやっていたので、就職活動でもゲーム会社を検討したんですが、専門学校卒の人たちに勝てないなと思ったのでそれもやめて。大学を卒業するときに経理を志望しようとしたのも、将来起業したときに会社のお金の流れとかを見えたほうがいいなと思ったんですね、いずれは起業しようと思ってて。
あと25歳の時に沖縄旅行中に事故にあって、1週間くらい集中治療室(ICU)に入っていたことがあったんです。落ちて、左半身を打ってしまって、両親も駆けつけて。そんなことがあって、正直もう死んだなっていう感覚の中で、ほんとに人間いつ死ぬかわからないし、限界も感じているし、やりたかったことをやろうと思って。
教育、ゲーム、起業全部やれるように会社を。
__じゃあ、起業したら、ゲームと教育に絞ろうというのはある程度は決まっていたんですか?
はい、そうですね。ワークスアプリケーション時代に、インターンシップの運営リーダーみたいなのもやらせてもらったことがあって。実際に200人くらいの学生が会場に集まって課題に対してプログラミングで回答するといった感じのインターンシップなんですけど、IT企業を目指す学生がすごく多い割には、実際にプログラミングが書ける学生というのは少ないというのをやっていて気づいて。なんか弁護士になりたいと思っている人が六法全書読んだことないみたいな感じなんですよね。でも今後の日本経済を考えるとIT企業が伸びていくにも関わらず、技術を持った人の裾野がないんだなと思って、そこにちょっとチャンスがありそうだなということで、プログラミングを教えようと考えていました。
__辞めてから会社設立するまでは結構すぐだったんですか?
(2010年)6月末でやめて10月に起業したんですけど、その間、車で日本一周してて。一日一県くらいのすごいペースで。それが一か月半くらいですね。6月中旬くらいから、9月の頭まで。
__起業して苦労されたことはありますか?
最初はプログラミングを教えようと思ったんですけど、そうではない教育的な、企業研修事業をやろうと思ったんですけど、なかなかそれが売れずに、PIVOTとしないといけないということがあって。あと2010年の10月に起業したんですけど、その翌年に3.11がきて、4月に予定されていた研修とか仕事がすべてなくなってしまったんですよ。あの時大変でしたね。ちょうど半年くらいで。
__それからPIVOTしたのはいつからですか。
3.11があって、少し考えなきゃいけないねってなって思って。プログラミングの教育事業を当時住んでいたシェアハウスのリビングに5人だけ集めてやっていたんですね。じゃあそれをもうちょっと拡大しようということで、当時はTwitterだけで集客をしていて、それで段々Facebookに移行したりする中で、最初は友達向けだったんですけど、もうちょっと一般向けに改造していこうということでその年の8月くらいから一般募集みたいなのを始めました。大学生限定でやっていたんですけど、15名くらいの募集人数のところに50名くらいの応募があって、そういう風に拡大をして学生を企業に紹介していこうみたいな、そういう風になっていきました。
__じゃあ徐々に拡大していったという感じですか?
初めはそんなにうまくいかなくて。まあ淡々とプログラミングの講座をやり続けていたら企業さんから、営業職向けに同じ内容をやってくれないかという研修の依頼が来て、それで、企業研修だと金額が全然違うので、それでようやく、こういう感じで行けば回るようになるなということを感じてきましたね。
それが2011年の9月くらい。ちょうど会社が1年目が終わるときにこういう方針でいこうみたいなのが固まってきたという感じですね。

普段はシェアハウスのラウンジでお仕事しているそうです。
ニッチで多角化していきたい
__今後会社をどうしていきたいか。千葉さんご自身の5年後10年後20年後といった大きなヴィジョンですね。それを聞かせていただいてもいいですか?
プログラミングの事業に関しては、いろんな会社さんが色々な取り組みをされていると思うんですけど、僕らはオンライン+リアルみたいな教育の形をやろうかなと思っています。ベースはオンラインなんですけどももう少しリアルな価値、リアルだからこそできる価値みたいなものを追及していこうかなと。もともと、リアルを構想していたんですけど段々オンラインをという形を今は取っています。会社としてはオンラインのものを意識した取り組み、iPhoneアプリですとか、そういうのも含めたeラーニング的なこともまた卒業研究に戻っていくんですけど、そういう形になっていきたいですね。
__プログラミングのほかにやっていることって?
はい、ゲームを使った研修があります。それもどちらかというともともとのゲームというものを使って座学というよりは、自分が体感しながら学ぶようなものをやっていこうかなと思っています。今は結構たくさんゲームを開発中です。ボードゲームとか、カードゲームとかですね、ソーシャルゲームではなくて。そういうものも開発しています。あとはECですね。ITも全然関係ないんですけど、エスプレッソマシーンをイタリアから仕入れて、販売しています。これは元々一緒に住んでいたルームシェアメイトの一人がコーヒー好きでそれをイタリアから買ったんですけど、サイトが英語だったりして、本当に届くのかどうか不安だったという話を聞いて、なんでイタリアからわざわざ仕入れたの?って言ったら、日本に売ってるのがなかったということで、じゃあやってみようと。やってみたら売れたりとか雑誌に掲載していただいたりして。全く関係ない事業ですけど。
__売れるんですか?
そんなに売れないです。ほんとに個人の人が趣味でやるくらいの。そんなに安くないので、一台10万ちょっとくらいですね。ほとんど買う方いらっしゃらないんですけど、中にはリッチな方もいらっしゃるので (笑)
なので、HEART QUAKEとしての5年後10年後を考えると、戦略としては全部をニッチにしていくんだけども複合企業みたいな、そんな感じです。大きくはないけど、ニッチで多角化していくっていう。ゲームの研修っていうのもニッチですし、エスプレッソマシーンの販売なんかもニッチなので。プログラミングはちょっとマス的な感じですけど、そういう事業も中にはあってもいいんですが、拡大していくっていう感覚は全くなくて、常に僕らが面白いと思っていてまだ世の中にはないものを探って作っていくっていうことを考えています。なので、何をやっているかというのはちょっとわからないです。教育だったりとか、ゲームだったりとか、自分たちが面白いと思っていることとか。後は、だれかの役に立つようなことを、やっていると思います。
__千葉さんご自身としてはそのようなイメージで?
そうですね、僕としては、住む場所を自由にできるみたいな場所と時間と、できればお金も。ある程度自由になるようにということで、イメージとしては四季によって住む場所を変えるくらいのイメージですね。平均気温を、僕の生きている世界では20℃~25℃ぐらいに過ごしやすく。なので、夏は少し涼しいところに、冬はあったかいところにという形で。そういう面でみるとエンジニアっていう職業はほんとすごく向いていますよね。Prosheetに登録されている方もそういう方多いんじゃないかと思うんですけど、そういう形でやりたいなと思っています。冬は、ハワイとか沖縄とか。決して仕事をしないというわけではなくて。
__シェアハウスに住んでるのもそういった理由からですか?
シェアハウスに住んでいるのは移動のコストが安いからですね。洗濯機も冷蔵庫も机も全部用意してくれるので。引っ越すときとかにすごく楽なので。自分で持っちゃうと物が増えてしまうので。
仕事だけが人生のすべてではない
__座右の銘を教えてください。

__これが意図するものを教えてください。
単純にこういうように仕事をしていたいなっていうことと、遊ぶと仕事をあんまり分けたくないなと。
__それが常にあると?
そうですね、これは他人の言葉なんですけど。
__最後に、Prosheetについてどう思われますか?
単純にすごくいいと思います。最初コンセプトを聞いたとき、僕もこういう働き方というか今の時代そんなにお金はいらないし、仕事だけが人生のすべてではないと思うので、週2とか週3とか働いて25万とか30万とか稼げるんだったらそういう生活も悪くないと思います。なかなか週2だけ勤める会社ってないし、そういうサービスがあるならすごくいいと思います。あとはエンジニアは営業が得意じゃない人が多いと思うので、営業を誰かがやってくれるのであればすごく楽だと思います。
__はい、交渉とかすべてやっている部分もあるので。
すごくありがたいと思います。
あとは僕はエンジニアとして、三流エンジニアくらいだと思うんですけど(笑)
それから考えると、どれくらいのスキルがあればこのサービスでやっていけそうなのかというのは僕としてもまだ不安で、僕のスキルで何かできるのか、これができればあなたは大体オッケーみたいなものが見えるとやっぱりいいと思います。会社で働いている人でも自分のスキルでやっていけるのかなって悩んでいる人は多いと思うんです。
なにかひとつ指標みたいなものがあればより仕事しやすいなと思います。
以上、ご協力ありがとうございました!
実は、千葉さんが仰っていたような「自分のスキルでやっていけるのかなって悩んでいる人は多いと思うんです。」といったエンジニアの方々が気軽に相談できる窓口を設立する予定です。
詳しくは、明日のブログをお待ちください!
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