【エンジニア取材】株式会社TORETA CTO 増井雄一郎さん

増井雄一郎さん
過程こそ面白いコンテンツー「最近人の成長を見るのは面白いなぁと」

「好きを活かして得意で稼ぐ」PROsheetブログ担当のたぐちです。

ひさびさのエンジニアインタビュー、今回は株式会社TORETAミイル株式会社のCTOを務める傍ら、ブログや多くの講演・執筆などでも活躍されているエンジニア増井雄一郎(@masuidrive)さん。

高校生から始まった非常に濃いエンジニア人生、そして今後の展望、エンジニアへのメッセージを語って頂きました。

高校生からフリーランスエンジニア

初めてパソコンを触ったのが中学生の時です。(所属していた)科学部の部室に古いMSXが置いてあって、それで初めて触りました。それで面白いと思って、高校を選ぶ時にも情報科がある高校を選びました。

増井雄一郎さん

高校入学後はMS−Xを買って貰って、そこからはずーっとパソコンしかしてなかったです。高2の夏休みが暇だったこともあって、写真の現像屋(DPE)さんがレジ打ちのバイトを募集しててそこで応募したんです。それで履歴書に「好きなことはパソコン」って書いたら、データ入力のバイトがあるから、ウチでデータ入力しない?言われて始めて。

そのうちそこのデータ入力がしづらいということで自分でそこのデータ入力のソフトを作ったんですね。で、それ(開発)出来るんだったら、棚卸しのソフトをもう少し管理出来るようにならない?って事でそこの社内のシステムを自分で作り始めました。
そんな事をしているうちに、そこに来ている会計事務所の先生が「だったらウチの他のお客さんにも顧客管理とか在庫管理とか、そんなシステム作ってくれない?」って事になって、高2の冬休みに飛行機に乗って出張して、その会計事務所の先生と一緒にお客さんにヒアリングするっていう生活をしてました(笑)

なので結構早いウチからフリーランスをやってるっていう。
よくそんな人に仕事振るなぁと思いますよね(笑)

そんな感じで、高校生の頃はプログラミングを1年くらいしか趣味でやってなくて、その後は卒業までずーっと仕事としてやっていました。98マシンを会社から買って貰って家でも仕事してたりとか、社内システムを自社で組んだり受託で組んだりとか。

大学では全然遊ぶつもりだったんですけど・・・入学した94年って日本の大学にインターネットが私立を含めて普及し始めた年なんですよ、95年ごろから一般化し始めたんですけど。
(そんな背景もあって)一般教養の中に、情報処理概論っていう授業があったんですけど、そこの教授がちょっと言ってる事がおかしかったから、授業が終わった後に噛み付きにいったら、「面白いやつだ」という話になって、結局凄く仲良くなって。
文系なんでゼミ室みたいのがないんで、鍵をあげるから教授室を自由に使っていいってことになって、そこにあるパソコンにインターネットに接続して繋いで、そこに寝袋持ち込んで朝から晩までネットしてて、引き続きバイトもしてて、仕事してっていう生活を大学生の間やってました。

エンジニアになりたいのか経営者になりたいのか

就職しようと思ったことは一度もないし、就職活動もしませんでした。結局フリーで食っていけるし。大学生の方が便利なので、大学も6年いってました。

ただ仕事が一人で回らなくなった事もあって、高校からいろいろ一緒にやっていた友達とアルバイトを入れたりして大学5年の時に起業しました。ちょうど当時iモードが出た頃で、ドコモ北海道さんのサイトは殆どウチで作らせて貰ったりとか、キャンペーンサイトとか各社作りたいけど(制作会社が)少なかったんで、そういうのをやらせて貰ったりして、結局4年間続きました。多い時は6人くらい社員を抱えていました。

2003年頃に社員が増えてきたんですけど、営業がいないんで結局僕が営業や外部の交渉もやらざるを得ないんですね。それでコード書く時間が全然とれなくて、自分が会社をやりたいのか、エンジニアになりたいのか悩んだ時期がありました。

それで、
「一回エンジニアを辞めて会社経営をして40歳になった時にもう一回エンジニアに戻るのは難しいけど、もう一回エンジニアをやって40歳になった時に経営者になるのはたぶん出来るから、今ボクがやりたいのはコードを書くことだ」
と決意して、会社は結局閉じて、当時いた社員に仕事はフリーランスでやるって事にしてみんなに割り振りしたり、お客さんのところにエンジニアが欲しいってところに行ってもらったりしました。

Rubyとの出会い、そして渡米

そんな中、僕98年くらいからRubyを使っているんですけど、ちょうどRuby on Railsが出たのを見て、これはすごい実用になると思って、2005年くらいから使いだして、2006年とかはもうRubyの仕事しかしないと自分で決めたんです。
niftyさんのアバウトミーっていうサイトを作りたいとか、デジタルガレージが新しいスタートアップをやるので新しい技術でやりたいから参加しないかとかそういうのを拾ってもらって本当にRailsの仕事しかしなかった。

増井雄一郎さん

それで2006年に初めてシカゴでRailsの国際カンファレンス「RailsConference」が開催されるって事で、僕初めてパスポート取っていったんですよ、海外に。
行ってみたら、僕全然英語喋れないんですけど、一週間いたらコンビニで買い物とかはできるから、このまま一年とかいたら、喋れるようになるんじゃないかって思って、アメリカに行く手段を探しだしたんです。

当時僕が一読者としてよく見てた中島(聡氏)のブログを読んでたんですけど、日本に帰国しますっていう内容をブログに書いてて。彼と連絡とれると、お昼ごはん一緒に食べようといってくれて、会場だった横浜まで会いにいったんです。
それで自分がどういう人かっていう事は予め送ったメールに書いて送ったんで、アメリカに行きたいんですって言ったら、「ちょうど自分もUIEが落ち着いたんで、もう一つ新しい事を始めたいと思うから、一緒に会社やる?」って30分くらいで意気投合して、その夜にまた会って色々話をして、本当にそれだけでアメリカに行ったんです。

渡米後、実は半年間は日本の仕事をフリーで受けてたんですよ。英語喋れなくて向こうでいきなり仕事出来ないし、向こうで一年英語を勉強しながらビジネスプランを2人で考えてビジネスをやろうと考えていたのに、iPhoneのSDKが発表されて、iPhoneアプリが作れるようになって。これはやるしかないって話になって、学校とか全部キャンセルしてもうずーっとそのiPhoneのアプリケーションを作ろうって事になって。2008年7月にストアがオープンするので、一番初めに出したいって事で。

Big Canvasっていう会社では、そっからずーっと集中してiPhoneのアプリを作って100万ユーザーもいるところまでいったんだけど、iPhoneの広告市場がそれほど出回ってなかったり、2008年のリーマン・ショックでガタガタになったりとか、僕がVCとちゃんと話をして英語でビジネスをするほど英語が喋れるようになってなくて。日常的な会話は出来るんですけど、駆け引きとか、厳しいところをついてくる会話はやりきれないんで。
それで諦めて2010年に帰国するんですが、その時ちょうどAppceleratorから技術者としてやってくれないかって声を掛けられて結局Appceleratorに入社してリモートでやるって事で日本に戻ってくることになって。

miil、TORETAのCTOに

そして帰国して出会ったのが豚組の中村です。実はAppceleratorに入るより前の話で、当時kizna(きずな)っていうプロジェクトだったんですけど、(中村さんが)プロジェクトとしてうまく行かなくなっていてどうしようか迷ってるから色々と手伝ってくれないかって言うことで、中村と接点が出来た。
それで契約社員みたいな形できずなも手伝っていました。

当初はTwitterクライアントではなかったんですけど、一回大きくピボットするタイミングがあって、その時にmiilを作りたいっていうのを中村が言って、僕は写真をシェアリングするアプリをアメリカでずーっと作ってたんでそのノウハウはあるから、じゃぁ僕作りますよって始まったのがmiilです。

miil

きずなからFrogAppsっていう会社になって、その後miilに注力しようって法人を分けてTORETAを作ってからは、僕は兼任で両方の会社のCTOをやってたんですけど、実は先日miilの方は、もう中にエンジニアが結構育ってきたので、もう日常的な業務として僕がかかるべき必要がなくなった事もあって彼らに引継ぎをして、僕はTORETAの今立ち上げが今まだバタバタしているので、そっちに今注力してます。miilは月1回アドバイジングとかそういうのはしています。今はTORETAのCTOがメインですね。で、あとは結構講演活動をしたりとか、ブログを書いたりとか、執筆とか、あとライブとか、趣味で色々作ったりとかやってます。

で、もう中村は分かってるんですけど、僕に仕事をさせようと思っても仕事しないので、まあ放っとくしかないよねというので、結構放っといてもらっていて。中村と僕は分野が全然違うんですよ。まあ彼は要するにレストランのオーナーで、ずっとそういう方でやってきて、もともと広告代理店のそういう方向は強いし、僕はテクニカルな方だし、そっからすごくうまく関係が出来ているので、彼はアイディアがあって、それを実行したり、その会社を作るってことは出来るし、僕すごくやりやすいです。

40代50代でもコードはかける!

_今後どうしていきたいかについて教えてください。
遠い目標としては、もう少しちゃんと英語圏で活動が出来るようになりたいんですよ。
最近だと書きたい記事も日本語だと大体色んなところで書かせてもらえるんですけど、じゃあ海外に出るとっていうともちろん僕のことを知っている人はいないし、で、結局オープンソースとかやってると、もう日本語じゃなくて、結局世界中ユーザーが桁違いに多いので、結、局世界をターゲットにしなきゃならなくなって、で、今趣味で、まつもとさんがやっている「mruby」の実装の手伝いをしてるんですね。1年ちょっとぐらいずっとコミットしてて。
そこのコミュニティは日本人も含めて全部英語のみなんですよ。一切日本語は使えないっていうコミュニティ。そういう風になっていくと、特にオンラインのコミュニティとかは英語化されていくと思うので、もうちょっと英語できちんとコミュニケートが出来るようになりたいし、そこで知名度を持ったり、発言力を持ちたいんで、4月は台湾Rubyカンファレンスでしゃべりに行くんですよ。それも英語でしゃべります。

自分がやりたいと思った時に、自分がやりたいことが、日本で出来なくても、他の国では出来るかもしれないという時にそこに行けるようにしておきたいんですね。今、特にこれをやりたいというのは強くあるわけじゃないんですけど。

プログラマーってほら35歳定年説っていうのがあるじゃないですか。でも、周りで海外の人とか本当に40、50になっても書いているっていう人は結構いて、Appceleratorの時にも40後半の仲いいアメリカ人はバリバリ一線でコードを書いていたので。で、やっぱり彼のコードには僕は勝てないと思うし、今でも中島が書いてるコードに僕は勝てないと思うんです。
どうしても若い人ってね、勢いがあるし、評価は期待値もあるので、評価されやすくて、年を取るほどそういう意味では社会はどんどん厳しくなるんですけど、でもちゃんとやることをやっていて蓄積があれば、まあコンピュータって3年とか5年で色んなこと大きく変わるけど、根本変わらないことがあるし、やっぱり人間の経験は年月じゃないと得られないものってたくさんあるので、年を取って一概にみんな能力が衰えるわけでもない。

ひたすら勉強するしかない

_その前提としてやっぱり能力あげていくっていうのが大事ですよね。

そうですね。それはもうひたすら勉強するしかないので、ただ技術は変わっていっても、勉強したことそのものはあんまり無駄にならないっていうのと、日々業務で学べることってすごく上のレイヤーの知識なんですよ。Ruby on Railsのような上のレイヤーの知識になると、振れ幅がでかいんですよ。例えば何か振った時に上の方って大きく振れるじゃないですか。なので、例えばRailsもすごく上の層なので、展開が早いし、振れ幅も大きいんですよ。

だからついて行くのはすごく大変なんだけど、下の方とかRubyとかもっとコンピューターサイエンス的な層って、そんなに軸の方って動かないんですよ。で、結局すべてそういう軸の上に乗っている部分があるんで、そのコンピューターサイエンスだったりとか、アルゴリズムだったりとか、基礎的な業務知識だったりとか、そういったものって時代とか他の上の技術がRailsがなくなって、もっと新しい技術が出ても、そこは変わらないんですよね。出来れば本当に20代のうちにそういうのは勉強しておいた方がいいと思います。

増井雄一郎さん

過程こそ面白いコンテンツー「最近人の成長を見るのは面白いなぁと」

_PROsheetが提案している週2日〜っていう働き方とかっていうのはどう思いますか?

これを見てすごい面白いなと思いました。結構今だとそれこそ自分でサービスやりたいとか、だけど、それだけじゃしばらく食えないから別にの仕事を持つとか、フリーランスだと結構フルタイムで常に仕事が入っているとは限らないので、そういう人けっこう多いですよね。僕もだからそれを間をけっこうライディングとか、講師とかで埋めてたので。

_誰もがそういうお仕事が出来る人っていないですよね。割とある程度実力があって。

書くのがみんな好きなわけではないですしね。しゃべるのとか。

_知名度とかもありますし、そういうことが全員出来るわけではないので。

僕はしゃべったり書いたりするのが好きなんで。

_それはすごい強みにもなってますよね。

そうですね。それは大きいですね。エンジニアの人元々あんまりしゃべるの得意じゃない人多いですしね。

_増井さんが影響を受けた経営者だったりとか、技術者だったりとか、そういう方っていらっしゃいますか?

経営者とかはいないんだけど、今でもやっぱりまつもと(ゆきひろ)さんはすごいなと思うことは多いですね。特にしゃべるのを見てて、その具体的なものをどんどん抽象度を上げていく部分とかは、ああいうのはやっぱりすごいうまいし、それってすごく大事なことなんで、抽象度をあげていかないとスケールはしないし、で、話す時も自分のことだけを話すこととか、テクニカルな話って楽なんですよ、事実を話すだけなので。だけど、それをもっとみんなが吸収しやすいように、抽象度をあげるのがやっぱりすごく難しくて、そういうのがすごいなとは話を聞いてて思います。

_増井さんにとっていいエンジニアってどういうエンジニアですか?

そうですね。やっぱり幅広く知ってるっていうのと、何よりも自分で勉強するのが好きな人はいいエンジニアですね。やっぱり勉強しないと置いていかれるので、常に勉強するということに、ずっと自分の環境を置いとけている人というのはいいエンジニアだと思います。僕自身が一つのことを続けるのが苦手なので、余計そう思うんですけど、ちゃんと一つのことをずっと勉強したりとか同じことを続けられる、きちんと勉強が出来る人はいいエンジニアだと思いますね。

_他の業界に比べたらすごい勉強会とかめちゃくちゃやるじゃないですか。エンジニアの業界ってそこはすごいなと思います。

勉強会そんな役に立たないんですよね正直。あれはほとんどモチベーションのためなので、はい。ただ技術を習得するだけだったら、ビデオで見た方が効率もいいし、本読んだ方がはるかに効率がいいんで。

_アウトプットする方が大事?

そうですね僕は。で、アウトプットするとブログとかで反応もらえて結局それがインプットになったり、で、今回も話す前にデブサミで話す前にもう少し小分けにして別のところで何回か話して反応を見て、何回かって感じで。

_すこしづつ内容もブラッシュアップされている?

はい。あと去年の末にWEB+DB PRESSが10周年で、「自分を変えた失敗」っていうタイトルで、エッセイを寄稿して下さいって言われたんですけど、結局一つ目の会社を潰した時の話を書いたんです。でもそれが、自分にとってすごく書きにくくて。やっぱり10年前とはいえ、結構大きな失敗だったんで、自分にとってやっぱり今でもたぶん嫌な思い出で、で、どうにも原稿が書けなくて、友達を飯に誘って、友達にその時の話をしながら自分でメモをして、箇条書きにして、記事に起こしたりとか。

僕、中学の国語の成績が1だったりしたので、今本書いてるなんて不思議な話ですよね。感想文とかすっごい嫌いで全然書かなかったですけど。

_でも今は書くのが大好き?

そうですね。今はもう書くのが仕事だったりとか。人生何があるのかわからないですよ、本当に。

以上、インタビューへのご協力ありがとうございました。
「自由な働き方」を理想の形で具現化されている増井さんのインタビュー、非常に刺激的で楽しかったです。

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